永井洋一 【ながい・よういち】
 サッカーライター。中村信者。理論に溺れし典型的電波アンチトルシエ
 1955年横浜市生まれ。成城大学マスコミ学科卒。ワールドカップイングランド大会でサッカーの虜となり、自らサッカークラブを設立。その後日産FC(現・横浜F・マリノス)のコーチを務め、加茂監督の元で独自のサッカー理論を得る。(しかし、正規の指導者教育を受けているわけではないようで、コーチとしての評価をされることはほとんどない)

 システマチックなプレッシング・サッカーを嫌って「個人の技術を有機的に連結するサッカー」を理想とし、それ故に指導している少年たちにも「ゆとり教育」や「トロプス」をベースにしたと疑われる放縦な指導を施している。
自身が関与していた日産ジュニアユース出身の中村俊輔のプレースタイルに心酔しており、彼を冷遇し、自らの理論に当て嵌まらない戦術を採るトルシエには徹底して攻撃を加えた。そして中村のワールドカップ代表メンバーからの落選が決定した直後のWCJにおいて、落胆のあまりに「僕のワールドカップは終わった」という名言を残している。(それでも20試合以上を取材したらしい)
 01年のコンフェデ杯の試合後、通路で中田英寿にシカトされたことを恨みたっぷりにNumberのコラムに書いたことは有名で、また「中田は司令塔としてはナンセンス、ボランチが適任」という自論を持つ。(当然、彼が司令塔に推すのは中村俊輔)金子や佐藤俊のような馴れ合い系ライターを嫌っており、その手のライターの書く文よりも、自分の書いた批評のほうが高尚であると思い込んでいる節が強いが、自分自身で書いたトルシエ、中村絡みの記事が彼らと大差の無いレベルにあることを小一時間(略
 サッカー批評の主要ライターのひとりであるものの、「トルシエと俊輔が絡まない永井の文章は平坦でつまらない」と評されている。しかし、第16号における「支離滅裂なトルシエ代表批評」と「PSMの結果だけ見て書いた中村マンセー文」は「永井洋一の真骨頂」とも言えるものであった。第17号の湯浅健二との対談、第19号も必見である。
 Number568のコラムにおける、国見高校批判+小峯総監督への個人攻撃とも取れる発言は「他者のスタンスを理解しようともしない」永井の傾向が良く現れている。
03年に書かれた『 スポーツは「良い子」を育てるか』では、当時既に否定的な意見が多かった「ゲーム脳」とスポーツの少年に対する影響を関連付け、更に評価を下げてしまった。(これに関しては、出版元である学研の編集者の意向があったのではないか、という意見もあったが・・・)
 その自論を以って一貫して支持してきたジーコジャパンアジアカップ優勝、ワールドカップ出場権獲得、コンフェデ杯で健闘するなど結果を残してきたのと入れ替わるように、05年春のリニューアルでNumber巻末コラムが終了。半田編集長退任後のサッカー批評からもお呼びが掛からなくなり、今ではスポルティーバ等にたまに文章が掲載される程度になっている。そのスポルティーバ05年5月号におけるジーコジャパンの本大会展望特集では、それまでの論調とは明らかにトーンダウンしており読者を驚かせた。
 最近では「ゲーム脳」に魂を捧げたおかげで「教育評論家」的ポジションの仕事にシフトできたらしく、「赤旗」や「日刊ゲンダイ」といったメディアに登場している。

補足:永井氏の文章に対する批判の一例として、ケット・シー氏の「メディア・ウォッチ」を参照していただきたい。